老舗の名物ものがたり

東京・銀座『銀座 矢部』其の一:蕎麦と喰い切り料理のハイブリッド

昼時にちょっと贅沢をしたいけれど、割烹のおまかせほど肩ひじは張りたくない。そんな時、『銀座 矢部』の「料理三品とそば」は実に頃合いで、大将の矢部久雄さんと話をしながら料理を決めていくカウンター割烹の醍醐味を楽しめるのも魅力です。でき立てを供す「喰い切り料理」は、正統派からアイデアの利いた一品まで縦横無尽。締めにいただく手打ち蕎麦は、専門店も顔負けの旨さで、ここでしか食べられないオリジナルの麺料理も勢揃い。今回は、東京の蕎麦割烹の先駆的存在である『銀座 矢部』の味ものがたりです。


柏原光太郎(かしわばらこうたろう):1963年東京生まれ。慶應義塾大学を卒業後、株式会社文藝春秋に入社。『東京いい店うまい店』編集長、食のEC『文春マルシェ』立ち上げの後、独立。食の社交倶楽部「日本ガストロノミー協会」を設立し、会長に。食べログフォロワー5万人以上。外食産業、地方創生関係者との繋がりも深い。著書に『ニッポン美食立国論』(日刊現代)。

文:柏原光太郎 / 撮影:綿貫淳弥

目次


蕎麦割烹のパイオニア的存在

東京には“蕎麦割烹”というジャンルが定着しているが、料理と蕎麦が共に屹立(きつりつ)している店はそうそうない。『銀座 矢部』店主の矢部久雄さんが『大木戸矢部』という蕎麦割烹をオープンしたのは、四半世紀前。このジャンルの先駆的存在といえるだろう。

ここ数年は、割烹と名乗っていても、大半はおまかせのコースだけ。せっかく外食をするのなら、好きなものを食べたいと私は思う。旬の食材や美味しい食べ方に関して、客より料理人の方が知っているのは当然だから、カウンターに座って言葉のキャッチボールをしながらメニューを組み立てることが、外食の愉楽だと私は思っている。

『銀座 矢部』を早春に訪れると、「生ワカメのいいのが入ったよ」と言われ、ワカメと筍をしゃぶしゃぶで味わってから、驚くほど薄いフグ刺しを食べ、マナガツオの西京焼き、フグ白子焼と進む。

日本料理の神髄を味わったら、手打ち蕎麦で締める。オーソドックスなせいろや鴨南蛮もいいが、「ちいずからめそば」や、自家製麺の「納豆うどん」などオリジナルも捨てがたい。

一度でも、この矢部ワールドに触れてしまうと、すぐにでも裏を返したくなる魅力にあふれた料理が、この店には春夏秋冬、出番を待っているのである。
 
『銀座 矢部』の椀物秋の名物椀として知られる「蓮根豆腐のお椀」。ゴマペーストを昆布だしと酒でのばして漉し、吉野葛を加えて20分ほど煉る。そこにレンコンのすりおろしを加えて、さらに煉ること5分。流し缶で固めたものに片栗粉を打ってフライパンで焼く。車エビ、芽カブ、柚子をあしらって。

➡『銀座 矢部』の晩秋の名物「京かぶらの皮餡かけ」の記事はコチラ

数々の名店で会得した専門技術

最近は様々なジャンルの店で修業し、その経験を生かしている若い料理人も多いが、矢部さんは日本料理一筋。それだけに、体得した技も知識も豊富だ。しかも、矢部さんは好奇心旺盛で、伝統的な枠にはまらない料理にも挑戦し、名作を数々考案してきた。

調理学校を終えて最初に入ったのは、フグ料理の赤坂『きくみ』。ここで基礎から叩き込まれた矢部さんのフグ刺しは、驚くほど薄い。「若い頃はタクアンを切って練習したものです(笑)」。

矢部さん曰く、旨みが乗っているフグは極薄切りにしても美味い。これを何枚も一緒にすくって食べてこそ値打ちがあるというもの。逆に、味のないフグほど巷(ちまた)では厚く切ることが多く、「厚くていいなら誰だってできますからね」と事も無げに言う。

その後、築地の料亭『金田中』で炭使いを学び、日本料理『神谷』時代、千葉県柏の名店『竹やぶ』で蕎麦とうどんの基礎も教わった。

それぞれの店で得た技術の集大成が『銀座 矢部』の料理。“蕎麦も食べられる割烹”という枠には収まらない、専門性の高さを矢部さんは備えているのだ。

『銀座 矢部』の店内『銀座 矢部』の特等席は10席のカウンター。個室は2室(~4名)ある。

「ちいずからめそば」と「納豆うどん」

矢部さんは、昔ながらの職人気質でありながら、とても気さくで、親しみやすい。筆まめで、メルマガも毎週送られてくる。短い旬を捉えた、今だけの料理が並ぶメールの内容は、実に旨そうで、そそられる。

その旬味に誘われて、『銀座 矢部』へと向かうわけだが、締めに蕎麦(または、うどん)を食べなかったことはない。

矢部さんの軸足は、あくまで割烹の料理人。長きにわたって研鑽を積んだ日本料理に+αの魅力を加え、お客様をより喜ばせたい。そんな思いで蕎麦を供しているのだと私は思う。

基本を重んじる矢部さんの信条は、蕎麦に関しても同じだ。各地の上質な玄蕎麦を選び、石臼で自家製粉し、つなぎを使わない十割蕎麦を打つ。その完成度を味わうならば、せいろや鴨南蛮といきたいところだが、矢部さんオリジナルのメニューがあまりにも魅力的で、毎度悩まされる。その代表格がこの2つだ。

オリーブ油と塩を絡めた蕎麦に、パルミジャーノと一番だしを添えた「ちいずからめそば」は、味変しながら味わう矢部さん曰く「ひつまぶし風」。ふわふわのチーズは舌の上で粉雪のように溶け、香り豊かなオリーブ油と相まって新味を生む。

蕎麦と一緒に学んだうどんも、もちろん自家製。あえてコシの強い麺を打ち、カルボナーラ風と称される大人気の「納豆うどん」だけに用いる。その詳細は追って配信予定だが、こうした他の店にはない独創的な麺料理を作り出したのは、矢部さんの探究心と茶目っ気のなせる業(わざ)だろうと私は思っている。

『銀座 矢部』の「ちいずからめそば」「ちいずからめそば」1650円。

『銀座 矢部』の「ちいずからめそば」の食べ方まずは蕎麦だけを味わい、パルミジャーノを絡めて食べ、最後に一番だしでかけそばに。チーズの溶けただしは、まろやかでコクがあり、クセになる。

『銀座 矢部』の納豆うどん超人気メニューの「納豆うどん」1650円。見た目は普通だが、この状態で提供された後、厨房で200回かきまぜて再び登場。カルボナーラのような見た目に。詳しくは追って配信!

季節ごとにスペシャリテがある

強烈な味わいがあるだけに、『銀座 矢部』ファンは「ちいずからめそば」や「納豆うどん」の旨さを語ることが多いのだが、それは矢部さんの余技。彼の神髄は当たり前ながら日本料理にある。

私は以前、仲間と共に定期的に『銀座 矢部』を訪れる料理会をしていたが、春の「わかめと若竹のしゃぶしゃぶ」や、初夏から供される骨切りではなく“骨を抜いた”鱧料理、そして冬の極薄切りのフグ刺しなど、季節ごとにスペシャリテがあり、訪れるたびに驚かされる。

しかも、合間に寿司や牡蛎フライがさらりと出てくるなど、楽しませ方が絶妙なのも憎いところ。引き出しの多い矢部さんではあるが、常連が待ちわびる代表的スペシャリテといえば「骨なし秋刀魚の塩焼き」。

20年以上前に考案した矢部さんのオリジナル料理だ。今や独立した弟子も出しているから、そちらで召し上がった方も多いかもしれないが、長年取引している仲卸は矢部さんに一番いいサンマを届けるから、その味わいはやはり格別。この名物の味ものがたりとレシピは、明日配信するので、お楽しみにしていただきたい。

『銀座 矢部』の骨なし秋刀魚の塩焼き晩夏から初秋、サンマが出回り出したら、『銀座 矢部』には名物「骨なし秋刀魚の塩焼き」を求めて常連客が押し寄せる。11月末まで提供。

『銀座 矢部』外観銀座の中央通りに面したビルの地下に暖簾が掛かる。入口には、蕎麦打ちの道具が飾られている。


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