日本料理のことば

「おでん」の由来

おでんは田楽(でんがく)が語源、というのは知られるところ。ですが、かつて両者は長らく混用され、今の煮込みスタイルを「おでん」というようになるまで、紆余曲折を経てきたようです。さらに、関西では最近まで「関東煮(かんとうだき)」と呼ばれたり、「地名+おでん」呼びが流行るなど、おでんにまつわる話題は多々。時代と共に、その変遷を追っていきます。

文:「辻󠄀静雄料理教育研究所」今村 友美 / イラスト:松尾奈央
(Factory70) / 協力:辻󠄀調理師専門学校

目次

江戸時代の「おでん」と「田楽」

おでんは、田楽に「お」を付けて、下の「がく」を省略したことば。語源からすると田楽の女房詞(にょうぼうことば)※です。

※女房詞:室町時代初期頃から宮中に仕える女房が、主に衣食住に関する物事について使った隠語的な言葉。

食べ物の名としてのおでんは、江戸時代後期の滑稽本『浮世風呂(うきよぶろ)』三編下(1812年)の、「大福餅から、ゆで鶏卵(たまご)。お芋のお田(でん)」という行商の売り声として登場します。このことから、江戸ではおでんが庶民の食べ物として定着していたというのが通説です。

では、この「おでん」は田楽だったのでしょうか、もしくは現代風の煮込みスタイルのおでんだったのでしょうか。

田楽は、本来は豆腐などに串を刺して焼き、仕上げに味噌を塗るという料理で、江戸時代に人気を博しました。次第に材料の種類が増え、加熱法も“焼く”から“茹でる・煮る”、味付けも味噌に限らないという、料理としての広がりを見せます※。田楽から派生した「変わり田楽」の中には、今の煮込みおでんに通じるものもありますが、カテゴリとして「田楽」の域を出たとは言い難いようです。

※「田楽」について詳しくは「日本料理のことば」の「田楽【でんがく】─レシピ付き」参照。

江戸時代の史料に当たると、「田楽」と「おでん」の混用が見られます。
江戸後期の滑稽本『東海道中膝栗毛』(1802~09年)には、葛をかけた田楽(おそらく豆腐)について、京の茶屋の女が「おでん」と説明するのに対し、同じ料理を指して弥次が「変な田楽だ」と返す場面が出てきます。

幕末の随筆『浪花の風』(1856~63年頃)には、「(大坂において)蒟蒻(こんにゃく)田楽を、おしなべておでんと呼ぶ」とあるので、京阪を中心に、特に蒟蒻田楽については、おでん呼びが広まっていったのかもしれません。

また京阪・江戸の風俗随筆『守貞漫稿(もりさだまんこう)』の「上燗おでん」の項にも、蒟蒻田楽が登場します。「燗酒と蒟蒻の田楽を売る。江戸は芋の田楽も売る」。ただ、この上燗おでん屋が売るのは、当時よくあった形態の、鍋に張った湯で串刺しの食材を温めて、味噌をかけたものかもしれません。酒の徳利(とっくり)は、同じ湯で燗にしていた可能性もあります。

こうした史料からも、当時のおでんは湯煮にした田楽、要するに一種の田楽である可能性を否定できません。今のおでんの原型である醤油煮込みスタイルは、料理としては明治以前からあったと考えられますが、それを「おでん」と呼んでいたかどうかは、今のところ断定できないようです。

明治時代から煮込みスタイルが「おでん」に

明治時代、東京の路上では露店・屋台のおでん屋が数多く見られました。しかし、明治~大正時代の新聞記者・山本笑月(しょうげつ)が記した『明治世相百話』によると、やはり串刺しの蒟蒻・里芋を湯煮にしてから、味噌󠄀をたっぷり塗るタイプ(味噌おでん)が主流だったとあります。一方で、醤油仕立てで長時間煮込むタイプは、わざわざ行灯(あんどん)に「煮込みおでん」と書いて、区別していたそうです。それが明治も30年前後となると逆転して、煮込みおでんが主流に。ことばとしても“煮込み”が取れて、単に「おでん」になったと考えられます。以後おでんと言えば、醤油煮込みスタイルを指すようになりました。

「おでん燗酒」「上燗屋」ということばもある通り、おでんには酒および茶飯がつきもので、特に都市下層の暮らしに深く根付いていきます。東京では蒟蒻、雁もどき、里芋、蒲鉾、竹輪、はんぺん、焼き豆腐などが主な食材で、明治末には多少具は違いますが、大阪や他の地方にも広がっていたようです。屋台だと鍋においおい足して煮るので、甘辛くて詰まった味のように思われます。

「関東煮」は関西で生まれたおでんの呼び名

今のような、だし汁がベースの「吸い味」と言われる薄い醤油味のおでんは、いつ、どのように登場したのでしょう。大正・昭和の頃に本格的に東京へ進出した関西料理の影響か、食通の喧伝によるのか、繁華街に出店したりお座敷料理になったりして洗練されていったのかなど、背景が複合的でよく分かりません。

ただ、煮詰まった甘辛い醤油味が東京のおでんであり、だしを利かせたのが関西風という、感覚的な区別は当時の人にもありました。多くの手記によると、おでんは徐々に、関西風の「上品な」味に押されていったようです。

このだしの利いたおでんのことを、関西ではつい最近まで「関東煮(かんとだき/かんとうだき)」と呼んでいました。従来の豆腐田楽や蒟蒻の味噌おでんと区別していたからです。

かつては東京でも、おでんを「関東煮」と呼ぶことがありました。銀座裏に「関西風関東煮」という、嘘みたいな看板があがっていたとか。彼らからすれば、正統なおでんとは甘辛い煮込みであり、汁の澄んだ淡い味の煮込みは「関東煮」という名の、おでんとは別物の料理と考えていたのでしょう。

おでんは作り方が単純な分、地域の食文化を反映しやすく、今では多くのご当地おでんが存在します。「地名+おでん」の命名パターンに倣って、「関西風おでん」という名称も見られるようになりました。その中で、今も「関東煮」を謳って気を吐く関西の店からは、昆布や節類の香りの利いた、吸い味の本場としての矜持を感じることができます。

おでんのレシピ

「辻󠄀調理師専門学校」の竹本正勝先生から教わる「おでん」のレシピ

▼おでんの煮汁と具いろいろのレシピはコチラ
▼おでんの大根と海老丸のレシピはコチラ
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