世界に挑む、和の料理人

ロンドン『HANNAH 花』がイギリスで行なったチャリティー活動と、レストランの可能性

本格的な日本料理への注目が高まりつつあるロンドン。その中で、懐石料理をアレンジしたコースで食べ手を惹きつける日本料理『HANNAH 花』。今回は、オーナーシェフの下山大介さんが、1月に起こった「令和6年能登半島地震」を受け、ロンドンで開催したチャリティーディナーの様子をお届けします。福祉国家イギリスの料理人たちはどのような慈善活動の意識があるのか、また、料理人の可能性を探ります。

文・撮影:ジェフリーズ清水直子

目次


2月上旬にチャリティーディナーを開催

元日の能登半島地震は、大きな衝撃だった。被災された方はもちろんのこと、日本全体が恐怖と悲しみに包まれた。今この瞬間も、心や身体に痛みを抱えながら過ごしている方も多いはずだ。

イギリスにもすぐさまニュースが飛び込んできた。倒壊した家屋、津波の被害、火災による炎の映像が映し出される。

被害状況が報道されると、ロンドンの日本人を中心とした協会団体や、日本食に関わる外国人が、次々に支援を呼びかけた。日本から離れた場所であっても、福祉国家・イギリスのアクションはやはり早い、と実感させられる。 

地震発生からまだ数日しか経たない1月の上旬、『HANNAH』を訪ねた時、新年の挨拶もままならないうちに、オーナーシェフの下山大介さんからこんな言葉が飛び出した。

「私と丸山シェフで、チャリティーディナーを開催しようと思っているんです」。

ロンドンのメイフェアで鮨会席レストラン『MARU』を経営する丸山泰治シェフは、福島県出身。東日本大震災時にはご家族も被災されたそうだ。当時、まだ若かった丸山さんは、多くの人がチャリティー活動に携わる姿を目にしてきた。

「今回の震災は、デジャヴを見ている気がしました。ロンドンの料理人さんと、何か支援ができないかという強い想いに駆られたのです。もし、他の方が無理でも、自分だけでやろうと決めていました」。

震災直後から同じ思いを抱いていた下山さん。丸山さんの気持ちと重なり、2月早々に、二人でチャリティーディナーを開催する運びとなる。

cha7853b初めてのコラボとは思えないほど、息の合った丸山さん(左)と下山さん。丸山さんは福島県出身で、寿司店の三代目。東京の3つ星割烹店でキャリアをスタートし、2005年渡英。『NOBU Park Lane』で寿司の経験を積み、17年にラグジュアリーホテル『Beaverbrook』メインダイニングのヘッドシェフに。20年には和食ダイニング『TAKA』、21年に『MARU』をオープン。23年にはベーカリー『HACHI』も開店した。
下山さんは群馬出身。叔父が営む割烹店に15歳で入り、調理師専門学校に通学しながら、毎朝、叔父の仕入れに同行。熱海『ホテル池田』、箱根『強羅山荘』、新宿の割烹料理『吟』を経て、07年、六本木『龍吟』の扉を叩く。11年にロンドンへ渡り、『UMU』スーシェフに。17年に『HANNAH花』オープン。

“楽しいから続く” イギリスの慈善活動

イギリスのチャリティー活動の歴史は古い。1531年に「救貧」と呼ばれる活動が始まり、1601年に制定された「エリザベス救貧法」が近代社会福祉制度の出発点だと言われ、現在のチャリティー制度の基本となった。
その後、1869年には慈善団体委員会が設立される。

近代では、チャリティー団体は社会福祉、環境保護、国際開発、健康、教育・若者支援など、細かな専門分野に分かれている。

イギリスでは、それこそ幼稚園の頃から学校教育の中で、常にボランティアとチャリティー活動への参加意識を学ぶ。福祉活動は社会の中で生きる一員としての責務である、という教えだ。寄付をするための活動は学校行事として年に何度もカリキュラムに組み込まれており、それぞれが趣向を凝らしたイベントとなっている。

日常的に行われるチャリティーには、ディナーを伴ったものも多い。セレブも参加するような華やかなガラでは、オークションが行われるのも通例だ。有名人の個人所有物や、著名人本人と共に過ごす時間など、普段手に入るものでないがゆえ、それ相応の値段で落札される。出席者にとっては魅惑的な時間であり、社交の場としての機能も持ち合わせている。そして、チケット代を含め、集まった額は寄付される。

イギリスでは、参加者、つまり寄付者が“楽しみながら”支援を行なっている。楽しいから続く。イギリスの人々は長年の歴史・経験から、その事を知っているのだろう。

二人のシェフによる、特別なメニューと想い

今回のチャリティーディナー「Hannah & Maru Charity Omakase Dinner」も、参加者にとっていかに魅力ある料理にするかを念頭に企画された。コラボ形式の全12品は、下山さんと丸山さんのスペシャリテだけを組み合わせた、まさに“オールスター”とも呼べる特別コース。売り上げは全額寄付。一人当たりのコース価格は250ポンド(約47500円)と両店の通常価格より少し高いが、それでも数日で全20席が完売となった。空席の問合せも、当日の1時間前まで入り続けるという人気ぶり。そして、参加者のほぼ全てが外国人だった事も印象に残る。

在英企業の反応も迅速だった。『アサヒビールUK』は、すぐさま協賛を快諾。イギリスでも人気の「スーパードライ」、ノンアルの「0.0%」を八寸と合わせる趣向となった。
また、イギリスで日本酒を輸入販売している『WORLD SAKE』も、即答で『吉田酒造』の「手取川」数銘柄の提供を申し出た。石川県に酒蔵を構える『吉田酒造』は、震災直後から支援のための活動を行っている。その事をゲストに伝えた事もあってか、半数以上の参加者が日本酒ペアリングをオーダーした。

下山さんと丸山さんは、事前に互いの料理をひと通り試食し、流れの中で味わいがブレないよう、旨みに焦点をあてて構成した。
二人の息が合ったコースに、ロンドンの有名インフルエンサー達は口々に「これまでのおまかせコースの中でもベストだ」と絶賛の言葉をかけ、「同じメニューでもう一度やって欲しい」と懇願する参加者もいた。

一夜限りのシェフ渾身の料理を堪能して、誰もが満ち足りた表情で会場を後にした。

cha0001c左/エビのラングスティーンを使った自家製豆腐、茶碗蒸し、生ずし、牡蛎のフライなどが盛られた八寸で、コースは幕開け。右上/英国南部セントアイヴィス産の紋甲イカは、なるべく水に触れないよう処理し、密閉後5日間氷水内で熟成させたもの。丸山シェフが選りすぐった、6星グレードのオシェトラキャビアを合わせて。右下/半生仕上げのロブスターは、下山シェフ自家製の“旨みバター”と柚子胡椒で、甘みを引き出し味わいの層を作る。ミソを酒煎り後にスモークし、西京味噌、昆布だしを合わせ、葛でとろみを付けたソースで。

cha0002d左上/店内中央に設置した“付け場”で、丸山シェフが一貫ずつ鮨を握り、手渡していく。右上/宮崎産A5和牛サーロインは炭火焼としゃぶしゃぶを一皿に盛り、すき焼き風のソースで提供。付合せには焼き舞茸とスプリングオニオン、炊いた椎茸、生ホワイトマッシュルーム。焼いたビーツの酢漬けが良いアクセントになっている。左下/10日間程熟成させた大トロの切り身をヒマラヤ産塩板にのせて脂と身の旨みを引き出す。握りにて提供。右下/アイスランド産のウニは2.5%の天然塩水で一晩浸水させ、余分な苦味や臭みを抜く。その後、酸化を防ぎながら水分を抜く作業を5日間行うことで風味が凝縮し、クリーンな味わいに仕上がる。手巻きで供する。

cha0003e左/下山さんのコース料理でも人気のラーメンは、昔ながらのおかもちで登場。誰もが笑みをこぼす瞬間だ。右上/セントアイヴィス産の手取りのホタテは、1%の天然塩水で処理した後、密閉して5日間氷水内で熟成。ねっとりとした食感、甘みと旨みが増す。右下/イベントでペアリングした日本酒は、石川『吉田酒造』の「手取川」数種のほか、新潟『石本酒造』「越乃寒梅 無垢」、イギリス人杜氏が作る京都『木下酒造』「玉川 タイムマシーン」など。「お酒は温めて香りやふくらみを出したり、冷やして酸を生かしたり、常温と熱燗を合わせてみたり。味わいをどう生かすかを考慮しています」と、下山シェフ。

コロナ禍でのボランティア活動を経て

素早く行動に出た下山さんだが、実は以前、ボランティア活動で心を痛めた経験がある。

それは、コロナ渦のロックダウンの時だ。最前線で働く医療従事者が食糧不足で困窮していることを知り、下山さんは食料を病院へ届けることを決めた。自ら焼き上げた日本のクリームパンやカレーパン、小豆から炊いたあんパンを、近くの「セントトーマス病院」へ届けた。持ち込んだパンは歓迎され、多くの感謝の言葉を受けた。
しかし1週間、2週間が過ぎた頃、下山さんは少なくない数のパンが余っているのを目にし、そして、それらが破棄されていることを知った。

「あの時は心が折れました。次はもうしないかな、と思っていたんです。今回も、その時の痛みが蘇って躊躇したのですが、気持ちを奮い立たせて、もう一度やると決めました」。

下山さんはチャリティーディナーに先立って、自身が営むお好み焼き店『jeux jeux(ジュージュー)』でも、2日間に渡りチャリティーデーを設けた。1日に200枚以上のお好み焼きが売れるこの店の、両日の売り上げ全てを寄付に回した。

一人のシェフが行う支援の大きさと可能性を、私は目の当たりにした。

料理人を評価する“世界”の視点

先日、イギリスのガイドブック『Good Food Guide』2024年版が刊行された。

最高評価を意味するカテゴリーは「World Class」。その次が「Exceptional」。つまり「傑出している」という特別級の賛辞より「世界クラス」が上位にあるということだ。世界において評価を得るに値するレベル、それこそが、最も卓越している。そんな強いメッセージが見えてくる。

“世界の評価”をどう定義するかはさまざまな考え方があるが、欧州の観点からいうと、社会的貢献への取り組みは非常に重要視されている。

食べ手が成熟すれば、料理人へ向けられる視線も厳しくなり、人としての資質がより強く求められる。行動力を伴う人間力、そして何より、その根幹となる偽りのない優しさを食べ手は感じ取っているのだ。

世界にも日本にも、こうした想いでアクションを取る料理人は他にもいる。今回のチャリティーディナーを通じて、レストランには、まだ多くの可能性があることを感じずにはいられない。

料理人という“伝導者”は、私たちが暮らす環境への配慮、人の繋がりの尊さに光を当てるオピニオンリーダーとして、美味しさと共にメッセージを届けていく、そんな力を秘めている。
料理は私たちの心と思考を豊かにする「メディア」となり得る、そう強く認識した、チャリティーディナーであった。

cha7900f両店のスタッフ全員が尽力して挑んだ夜。参加者の高揚感とチャリティーをやり遂げた充実感が満ちた、夜中の12時。誰もが疲れを抱えていたが、気持ちは晴れやかだった。


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