和食を科学する料・理・理・科

新しい酸味vol.4酸味の錯覚

農学博士の川崎寛也先生と、愛知・名古屋の『京味もと井』店主・本井将樹さんが、新たな酸味の表現を模索するシリーズの最終回。テーマは酸味の錯覚です。酸味は切れがいいのが特徴ですが、それゆえ後味が短いという短所も。そこで、酸味を連想させる柑橘系の香りを酸味に加えるという手法を川崎先生が提案。3つの実験を重ねて、酸味の余韻も楽しめる、夏らしいフレーバーの煎り酒を生み出しました。

文:中本由美子 / 撮影:間宮 博

目次

本井将樹さん(愛知・名古屋『京味もと井』店主)

1978年、愛知県生まれ。高校卒業後、建築の道を目指すも、バイト先の居酒屋での仕事が面白く、料理の世界へ。大阪で調理師学校に1年通い、研修で訪れた京都の『京料理やまの』の味に感動し、門を叩く。割烹でのカウンター仕事も会得し、計5年の修業を経て37歳で独立。カウンター8席の小さな日本料理店を6年営み、2021年、広大な庭を有す瀟洒な館に移転。他ジャンルの食材もてらいなく使い、一皿に五味を重ねる、驚きと楽しさのある料理をコースで展開する、柔軟な感性の持ち主。

川崎寛也さん(農学博士)

1975年、兵庫県生まれ。京都大学大学院農学研究科にて伏木 亨教授に師事し、「おいしさの科学」を研究。「味の素㈱」食品研究所エグゼクティブスペシャリストであり、「日本料理アカデミー」理事。「関西食文化研究会」での基調講演でも活躍している。専門は、調理科学、食品科学など。近著に「おいしさをデザインする」「味・香り『こつ』の科学」(柴田書店)。

酸味を連想させる香りの効果

川崎:
vol.2で作っていただいたモズク酢は新しかったですね。マーガオ(馬告)はレモングラスのような香りで、柚子やスダチとは違う柑橘香。酸味を連想させる和食の新しい香りの表現ができそうですね。
本井:
マーガオ、かなり気に入ってます。実は、同じような香りの油を見つけたんですよ。中国の木姜油(ムージャンユ)なのですが、原料は青モジだそうです。

左が台湾の山コショウ「マーガオ」、右がクスノキ科の山蒼子(サンソウシ)の実の香りを油に移した「木姜油」。

川崎:
木姜油の香り成分は、柑橘系のシトラール、リモネンなどです。
こうした酸味を連想させる柑橘香を酸味のある料理に加えると、より酸味を強く感じるという研究結果があるんですよ。いわば、酸味の錯覚ですね。
本井:
酸味の錯覚、面白いですね!
例えば、酸味を利かせた温かい汁物に木姜油を数滴垂らすと、酸っぱさが強調されるということですね。
川崎:
その通りです。香り成分は脂溶性です。油に溶けた香りは水に触れることで一気に揮発するので、香りの印象が強くなります。お椀の吸い口のように使えるかもしれませんね。
本井:
アサリだしに合わせたら面白そうです。早速、一品作ってみますね。

アサリだしのにゅうめん。アサリの真薯と水菜をのせて。だしはほんの少しの淡口醬油・みりんで味付けし、スダチ果汁を加えている。仕上げに、木姜油を垂らした。

川崎:
うーん…。ちょっと油が多かったかな。
本井:
油が舌に残りますね。面白いと思ったのですが、加減が難しい。マーガオを使った方がいいかもしれません。
川崎:
ラー油のように、すり潰したマーガオに高温の油を注ぎ入れて風味を移すという手もあるのですが…。
本井:
油を使わない方法はないですか?
川崎:
仕上げに振るだけでは面白くないので、煮出してみますか。時間や温度でマーガオの香りがどう変化するか、見てみましょう。マーガオの特徴を知る実験です。

【実験1】マーガオを煮出すとどうなる?

マーガオをすり鉢で細かくすり潰し、水で煮出す。香りが立ってきたらすぐに濾す。

本井:
すり鉢ですっている時も、煮出している時も、レモングラスのようないい香りがしていましたね。
川崎:
香り成分は揮発性なので、加熱すると一気に飛んでしまいます。作りたてをすぐに使う必要があるのですが…。とりあえず、味見してみましょう。
本井:
うっ、苦い! 柑橘香は消えていて、漢方薬のようなにおいがします…。
川崎:
これはダメですね(笑)。そうか、苦味が出るのか…。すりおろしたマーガオを味見したら、ちゃんと柑橘の香りがあるんですけどね。
アサリだしにスダチを搾って、マーガオの粉末を散らしてみましょうか。

本井:
あ~、これは美味しいです。ペッパーミルで最後にガリッとやって振りかけると、こういう感じなのでしょうね。
川崎:
なるほど、そうか。まず、苦味は酸味があるとマスキングされます。そして、アサリだしや醤油などの調味料にあるうま味も苦味を弱く感じさせますし、逆に、弱い苦味があることでうま味が長く感じられます
本井:
それで苦味を感じにくくなったのですね。酸味はしっかりと感じられて、余韻も長い気がします。
川崎
マーガオの柑橘香があることで、スダチの酸味を強く感じるのではなく、長く感じるんですね。酸味は後味が短いので、本当は消えてしまっているのですが、マーガオの香りは残るので、酸味が持続しているように錯覚したというワケです。

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