産地ルポ これからの和食材

兵庫・豊岡『北村わさび』のワサビ

和食の薬味として欠かせないワサビ。静岡や長野が名産地として知られるが、兵庫県の豊岡にも五代続くワサビ専業農家があります。しかも、現在流通しているワサビ栽培の大半はクローンを基にしたものであるのに対して、ここでは60年間ずっと自家採種、自然交雑の栽培方法を続けてきました。家族経営で繋ぐ、手間暇かけたワサビ栽培と、その味に迫ります。

文:河村研二 / 撮影:太田恭史
代表の北村宜弘さん。1975年生まれ。進学をきっかけに関東で暮らし、帰省時に久しぶりに口にしたワサビの美味しさに驚き、「この風味は残していかなければ」と家業を継ぐ決心をする。さまざまな仕事を経験し、2003年に帰郷、家業に入る。
アブラナ科ワサビ属。日本原産の多年生植物。8~16℃の清流の中でしか育たないといわれる。真妻(和歌山)、だるま(神奈川)、島根3号が3大品種といわれるが、実際に流通しているのはほとんどが真妻系。一般的によく食べられている部分は実は地下茎。根茎ともいう。春に出回るのが葉の部分で、根茎同様の風味がする。抗菌作用はもとより、最近では認知症予防、骨密度の強化、老化防止などにも効果があると大学の研究機関から発表されている。
日本料理『玄斎』の春のお造り。ワサビが魚の旨みを引き立てる。

日本料理の名バイプレイヤー

浪速割烹『㐂川(きがわ)』創始者の上野修三さんの次男で、神戸で日本料理『玄斎』を営む直哉さんが話してくれた。

「ワサビは日本料理の特に旬魚を華やかにしてくれる名バイプレイヤー。いろんなものを食べてきた人ほど価値のわかる“大人のハーブ”なんです。10年前に出合ったこのワサビは、それまで使っていたものとは明らかに違う。均質な旨さではなく、天然魚のようにいい意味で風味や粘りが一本ずつ違うんです。その野性味こそ自然そのもの。それが地元・兵庫県で生まれていたというのが、誇らしくて」。

名産地・静岡や長野ではなく兵庫県。というわけで、やってきたのは神鍋(かんなべ)高原にほど近い静かな里・十戸(じゅうご)である。その昔、10戸余りから始まった村だからこの地名になったとか。出迎えてくれたのは『わさび農家 北村わさび』代表の北村宜弘(よしひろ)さんだ。



栄養分豊かな水が流れる里で育つ

さっそく農園へお邪魔すると、なんとお宅のすぐ裏側、というか庭の延長線に農園が存在した。普通、ワサビといえば山奥へ分け入った清流の淵とかにあるのでは? ここはどう見ても盆地。

「このあたりは神鍋火山の噴火でできた裾野で、その形状と地質から良質な湧き水に恵まれました。古くから米やワサビ栽培などが盛んなところです。ワサビは享保年間(1716~1736)から作られていたようで、久美浜の領主に献納した記録が残っています」。

そういえば先からどこからともなく水の音が聞こえている。村の中にも水路が張り巡っていた。農園の向こう側100m先には県内随一の湧水量といわれる十戸の滝がある。しかし清水だけでなく、ワサビが育つには根が延びるだけの「隙間」が不可欠とも聞く。すると北村さんは5cmほどの石ころを指さした。「これは溶岩を砕いたもの。畑の全面にまず土石などが粉状になったものを、その上に石を敷き詰めます。湧き水は火山灰の黒ボク土を通ってくるから栄養分が豊か。この水があるから太く元気なワサビが育つんです」。

60年間続ける、自然な栽培方法

北村さんの家は五代続くワサビ専業農家である。祖父の茂夫さん(故人)が静岡のとある農家からだるま種を譲り受けたことがその始まりという。

現在流通しているワサビ栽培の大半はクローンを基にしたもの。成長点の細胞を容器の中で培養させた、いわゆる「バイオワサビ」のことである。しかし、北村家では四代目の政之さん、そして宜弘さんと60年間ずっと自家採種、自然交雑の栽培方法を続けてきた。

秋~春に花が咲き、厳選した優良な親株から5月下旬に採種。砂と合わせて布でくるみ、湿度を保った上で木箱で冷蔵保存。そして3月と9月に一粒ずつ丁寧に播種して育苗する。

苗を定植した後は、ただただ水の流れにまかせるのみ。栄養源は黒ボク土や溶岩石から染み出した湧き水のミネラルや酸素がすべて。だから湧き水に近いところほど大きく育ち、遠いところほど小柄になる。ワサビは自らが持つ抗菌作用で中毒を起こすような大変デリケートな植物。よって栄養豊かな水に常に洗われている状態でなければ健康に育つことはできない。発芽してから収穫するまで2年を要するという。

「うちでは蜂なんかが受粉して結実し、その種を採ってまた次のシーズンにという自然と同調していくやり方。この農法だと作物も土地も強い活力を維持できると思います」。

流れ続ける水の音に囲まれた農園で、ワサビを引き抜いていく北村さん。手に持ったワサビの先は根が大きく育っていてまるで仙人のヒゲのよう。眺めていたらふと北村さんがこちらの足元を指さしてこう言った。「ほらそこにも種が落ちているでしょ。その辺から勝手に芽を出すんですよ」。畑の隙間には白ゴマのような種がたくさん落ちている。わずかに発芽したものも。そういえば庭先にもワサビが生息していた。水の中で育つ沢ワサビに、庭の畑ワサビ。自生状態にあることを示している。

「毎年、温暖化との戦いです。水は12~13℃が適温といいますが、この辺りは何とか平均13℃をキープ。しかし日中の日差しが強すぎるので遮光は不可欠。毎年、鹿の害も酷くなっていますし…さてこれからどうなることやら」。

伝統の手法で、村の自然を守る

現在の顧客は八百屋や飲食店を合わせて約40軒。飲食店はフレンチや肉料理店、蕎麦屋、寿司屋、割烹などだが「おかげさまで今は一杯一杯の状況です。細々とした家族経営ですから」。

自家採種、栽培のみならず、収穫後の作業もなかなか手間がかかる。葉とイボを丁寧に落とし、剛毛なヒゲ根を取り、水路からくみ上げた水で洗う。その後もう一度庖丁で削ぐようにして仕上げ、再度水洗いして濡れた新聞紙でくるんで出荷するのだ。

「こうして昔ながらの手法でできるのは、今なお良質な水や土に恵まれているから。我が家の伝統と十戸の自然の恵みをこれからも守っていきます」。

大阪の蕎麦屋『あたり屋』主の土井康義さんも愛用者の一人だ。「品質の良さもありますけど、北村さんの姿勢がやはり素晴らしい。60年間の自家採種、最近は在来種を保存して苗を育て神鍋各地に植えに行ったり、自生しているクレソンを養鱒(ようそん)場の跡地で繁殖させたり、村全体のことを考えた活動をされている。蕎麦もワサビも味を決めるのは自然そのもの。これは自然環境を守るということにつながるんですね」。

ワサビは日本の健康状態を映し出すバロメーターなのであった。

 

神戸・北野『玄斎』
【住所】神戸市中央区中山手通4-16-14
【電話番号】078-221-8851
【営業時間】12:00〜、18:00〜21:00LO
【定休日】月曜、不定休あり
【お料理】昼のおきまり料理6600円、夜のおまかせ料理14300円。
https://www.facebook.com/kobegensai
https://www.instagram.com/gensaikobe

大阪・東三国『あたり屋』
【住所】大阪市淀川区東三国5-11-22 
【電話番号】06-6391-8585
【営業時間】11:30~14:15 LO、18:00~21:30 LO
【定休日】火曜
【お料理】湯葉そば1300円、ローストビーフ1200円。
http://www.atariyasoba.com
https://www.facebook.com/atariyasoba

北村さん曰く「標高80mの日本一低いワサビ田」。太古の昔、火山噴火でできた山の裾野に位置し、今なお滾々(とうとう)と水が湧き続けるポイントにワサビ田が形成されている。約3反の広さがあり、約3度の傾斜をつけている。
引き抜くと、ヒゲのような細かな根がごっそりと。
「温暖化や獣害などワサビ農は年々難しくなっていて農家は減る一方」と北村さん。田を囲む丘の上の道には鹿の足跡があちこちに。
空気と触れることで辛みが生まれ風味が際立つ。おろして3分ほどが食べ頃といわれる。
大阪・東三国の蕎麦屋『あたり屋』のざるそば800円に、北村さんのワサビを贅沢に。店主・土井さんは、「ないと寂しいし、でもワサビなら何でもいいわけじゃない。北村さんのワサビは主張しすぎない美しい香りが絶妙です」と話す。

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