産地ルポ これからの和食材

静岡・焼津の魚屋『サスエ前田魚店』前田尚毅の仕事

現在、日本一有名な魚屋と言っても過言ではない静岡・焼津(やいづ)にある『サスエ前田魚(うお)店』の五代目・前田尚毅(なおき)さん。国内外のトップシェフから受けるオファーに応える前田さんが「一番大切にしてる」と言う、地元料理人に卸す魚の仕事に密着しました。「土俵際の美学」と称するギリギリまで攻める仕事とは。洗いざらい公開していただきました。

文:阪口 香 / 撮影:喜多剛士

目次

前田尚毅さんは1974年、静岡県焼津市生まれ。水産高校時代には朝から『サスエ前田魚店』の手伝いをしたり、市場で競りのやりとりを聞いて耳を鍛えたり、と、魚屋の仕事を覚えた(夕食時に、どこの魚屋がどの船の魚をいくらで買ったか、などを父・博さんに報告するのが日課だった)。卒業後、水産会社で流通や仲卸しの仕事を学び、家業に入る。小売りの他、飲食店ごとに仕立てる魚が評判を呼び、国内外のトップシェフからオファーを受けるように。レストランガイド「ゴ・エ・ミヨ2021」では優れた生産者に贈られる「テロワール賞」を受賞。2023年、「超DXサミット」で「持続可能な海の幸グルメ賞」、「Sustainable Japan Award 2023」で「satoyama部門 審査員特別賞」を受賞した。
『サスエ前田魚店』の一般消費者向けの売り場。こちらでは地元の魚介だけでなく、他の地方のものも扱う。
『サスエ前田魚店』の小売り場では、造りが約20~40種、カツオの中落ち、マグロのカマ、干物なども販売する。「売り上げの6割が小売り、3割が飲食店、1割が老人ホームや病院、給食など。ウチを支えてくれているのは、焼津の人たちなんです」と前田さん。
漁港で毎朝、漁師の人たちを労うのが前田さんの日課。

“天然の生け簀”駿河湾の魚

ある夏の朝、6時30分。

静岡・焼津の魚屋『サスエ前田魚店』五代目店主・前田尚毅さんの姿は小川(こがわ)魚市場にあった。

富士山の南側に広がる駿河湾。湾口は伊豆半島の南端・石廊崎(いろうざき)と御前崎(おまえざき)で、奥行きは約60km。水深は最も深い地点で2500mと日本一深く、“天然の生け簀”として名高い。

「富士山の川から流れ込んだプランクトンや火山灰の栄養素、良質なエサを食べた魚が海流にのって定置網に入るんです」。

最良の漁場で獲れる魚を『サスエ前田魚店』では代々、一般消費者向けに販売してきた。

父・博さんの“地元で食べるからこそ美味い魚”に仕立てる仕事を見てきた前田さんは、飲食店にも目を向け“プロが扱うのに相応しい魚”に昇華させる技を熟考。2015年頃から「料理は、魚が針を食った瞬間から始まる」と漁師に訴えかけ、昨年、定置網組合の経営者が変わると同時に本格的に動き出した。



市場に、生きた魚が泳ぐ水槽を設置

小川魚市場で大きく変わったことが2つある。

一つは、水槽を設置したことだ。中では魚が悠々と泳ぐ。

通常、定置網で獲った魚はそのまま引き揚げられ、魚同士がこすれて鱗(ウロコ)が取れたり、人の手が触れて火傷(やけど)のような状態になることで死んでしまう。その状態で競りにかけられるのが“普通”だが、なぜ生きているのか。

「定置網を海面に近いところまで引き上げて、小さいタモで一匹ずつすくっていくんです。このヒイカなんて、金魚すくいで使うようなちっこいタモで“八木さん”が獲ってきてくれたんです。手間でいうと10~20倍にはなる。それを、船頭自らやるって言うんだもん、嬉しいよね」。愛おしい、という目で直径10㎝ほどのヒイカを見つめる。


八木さんは昨年、富山から焼津にやってきた腕利きの船頭だ。
「始めは『やれることはやりますよ』っていう程度だったんだけど。尚さん(前田さん)が料理屋に連れてってくれて、游(およ)がせて運んだものとそうじゃないものを食べ比べたんです。すると香り、食感、味、余韻すべてが違う。やる価値あるなって。俺らが手間かけて獲ったものを尚さんが繋いで、腕のいい料理人が美味い料理にしてくれる。それで静岡が盛り上がるならやっていきたい」。

群れで過ごすイワシなら、よくエサを食べて肥えている先頭集団を“游がせ”で獲ったり(難易度が高いらしい)、サワラなら魚体のいいものは船上で神経〆まで行ったり。「魚の酵素が活性化しないよう、船上から冷やします。水温が高い時は、一度に3t弱の氷を積みますよ」。八木さんはケロッとした顔で言うが、それがどれだけ大変なことか、想像に難くない。

市場の一角には、水色や黄色、黒くて丸いものなど様々な水槽が並んでいる。この中では、前田さんが飲食店向けに卸す魚が游いでいる。

「黒い水槽には、アジや鯖などの回遊魚や、エアレーションで水流を作った方がいい太刀魚が入ってます。四角いと角に当たってストレスになるんですよね。また、海の中って暗いから、この中に入れてやる方が落ち着くんです」。

ストレスは魚にとって大敵。同じように生きて肥っている魚でも、ストレスがあると冷やした時に身が余計に硬直したり、火入れした時に旨みや香りとなる皮の粘膜がなくなってしまう。それにより、理想とするクリアで透明感のある味わいの、保水された魚からはかけ離れてしまうという。

競り落としたら、魚はすぐに処理する

もう一つ、市場において変わったのが、前田さん専用に設けた作業場だ。ここで生きた魚の血抜き、神経締め、冷やしを行う。

「店に持って帰る間に、血液や血合いが酸化して魚の生臭みが出てしまうんです。だから、競り落としたらすぐに処理します」。

獲れる魚種、量、魚のコンディション、海水温・外気温。条件によって、やり方はすべて変える。ここでの作業は約2~3時間。『サスエ前田魚店』で直接手渡す飲食店の魚は、すべて前田さんが仕立てている。

「どの作業も疑いながら行います。どこかに落とし穴があるんじゃないかって。すると、血抜きも神経締めもやりゃいいってもんじゃないってことが分かってきたんです。神経〆の針の入れ方によって身の締まり具合が変わるし、脳殺に留めることで血合いを生かした料理を作ることもできる。卸す店の料理に合わせてやります」。

冷やしも、実に多彩。クラッシュした氷や、たい焼き機から想を得た、魚がすっぽりはまる魚型の氷、海洋深層水や真水など、約12種を使って、時にはブレンドして冷やす。

「魚種や身の厚さ、魚のいた水深や体温によって冷やす温度やスピードを変えます。とはいえ、冷やしすぎてもいけない。料理人が火入れをして美味しくなる魚にしないと」。

すべてがケースバイケース。一つとして同じ仕事がない。
「たくさん失敗し、遠回りしてここまできました。これからもどんどん方法を変えていくでしょう。動きながら、考えながら、一瞬のひらめきに敏感になってやっていきたいですね」。

漁港には、料理人を連れてくることもあるという。「現場を知ることが大事。生きている魚の様子とか、漁師がどういう想いで獲ってるのかとか」。

いつの間にか、他の魚屋は店に戻り、残ったのは『サスエ前田魚店』のスタッフのみ。かたわらで、漁師の八木さんが終始、前田さんの仕事を見守っていた。

料理人が待ち構える『サスエ前田魚店』

店に帰ったのは10時15分。昼12時からの一斉スタートを控えた料理人たちが、トラックを今か今かと待ち構えていた。

天ぷら『成生(なるせ)』、『なかむら』、『茶懐石 温石(おんじゃく)』、『日本料理FUJI』、イノベーティブ『シンプルズ』、イノベーティブフレンチ『馳走西健一』、イタリア料理『農+(ノーティス)』といった、静岡で予約が取れない店の主が揃い踏みだ。


到着するなり始まったのは、なんとジャンケン。
『成生』は太刀魚やカマス、『温石』はキンメダイ、『シンプルズ』はカツオなど、シグネチャー料理である魚種の最良な魚体はそれぞれの店に渡るが、それ以外や別の魚種はジャンケンで勝った者順に手渡される。

「ヘイヨー!グーなしジャン!」「アジジャン!グーパージャン!」「カマジャン!パーなしジャン!」。大の大人たちが真剣勝負。「よっしゃあ~!!」。勝った店主からどんな料理にするか前田さんに伝え、魚が手渡される。

「シグネチャーに加えて1~2品、高いポテンシャルの魚料理が加わるとコースとして強くなるんで、そのへんの塩梅を考えながら渡してます。『シンプルズ』や『西健一』はナイフとフォークで食べる。となると“触感”も美味しさに繋がるから、魚体の大きなものを渡しますね」。

魚を手に入れた店主たちは、すぐさま処理を施す。
「漁港からウチの店までは車で7~8分ですが、店によっては1時間かかるところも。ここで店に合わせた処理を施し、再度冷やした方が断然いいんです」。

前田さんの仕立てに対して、店主たちからすぐにフィードバックがくる。それに対してまた仕立てを変える。「毎日毎日、この繰り返しです」。

時間は11時10分、店主たちが昼の一斉スタートに向けて車を走らせる。

「たまに、食材よりお客さんの方が先に店に入ってることもありますよ(笑)。これぞ、土俵際の美学!」。その瞬間にできる“最高”を、ギリギリまで粘って攻めるのだ。

前田さんは12時30分から3カ所の漁港で競りをし、16時に店に戻る。全国の卸先に発送し、夜は料理人との勉強会“夜な夜な会”を行う。

とんでもなく多忙な日々だが、常に前へ、というこの姿勢が、静岡の料理店を支えている。


静岡では「ジンドウイカ」と呼ばれるヒイカ。生きた状態で漁港に揚がるのは、漁師たちの努力の賜物。
船頭の八木 真さん。高校を1年で辞め、漁師になって32年が経つ。厳しい師匠の元で数ある漁法を経験。時化のかわし方など、海をよく知る船頭として前田さんは信頼を寄せる。毎日、前田さんの仕事を漁港で終始見ているという。
小川魚漁港では、前田さん専用に魚を泳がせた水槽が設置されている。
血抜きの際、ストレスがかかっている魚は黒っぽい血が出るという。
神経〆は、海水の中で行うことも。時と場合によって手法を変える。
魚によって、冷やし方もいろいろ。鯖は、海洋深層水を凍らせたものの上に、真水を凍らせたものを置いて温度をキープする。
少し小さめのカマスは、水槽に氷を直接入れると冷えすぎてしまうため、ケースに入れて浸し、水を少しずつ流し入れ、その循環で冷やす。「心臓外科医の先生から聞いた話を参考にすることも」と前田さん。
前田さんが漁港で処理した魚を、料理人たちが『サスエ前田魚店』で待ち構える。
良い魚を取り合うジャンケンが毎日行われる。「グーなしジャン」はグーを出さないジャンケンのこと(チョキの勝ち)、「グーパージャン」はグーかパーしか出せないジャンケンのこと(パーの勝ち)。頭で考えられないほどのスピードで行われるため、「ほぼ勘で出してる」という店主たち。「アジジャン」はアジのジャンケン、「カマジャン」はカマスのジャンケン。
料理人が魚を手に入れると『サスエ前田』の調理場の一部を借りて下処理を施す。

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