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一度は消えかけた献上栗が復活! 熊本・山江村の「やまえ栗」

栗の生産量が茨城県に次いで2位(2022年)を誇る熊本県。なかでも、県南部にある山江村の栗は「やまえ栗」と称され、昭和天皇に献上されたほどの優れた品質を誇ります。献上栗を誇りとし、山江村の栗農家は切磋琢磨して生産に励んできましたが、農協の合併によって、「やまえ栗」を名乗れない時期が20年近く続きました。栄誉ある献上栗の名を次代へ繋ぎたいという生産者たちの強い思いが一つになり、ブランド栗として復活。再び全国へその名を広めようと、現在も190戸の農家が生産を支えています。

文:渡辺紀子 / 撮影:山下亮一 / 編集:伊東由美子

目次

豊永高希さん。今年73歳。長男は農家を継ぐものと育てられ、子どもの頃から父の仕事を手伝ってきた。役所を退職してから13年。「今は栗が生きがい。親孝行だと思っています」と言う。毎年9月に開催される栗まつりの品評会で、受賞多数。10年以上、山江果樹研究会の会長を務め、後進の指導にもあたる。
里山の傾斜地に広がる栗畑。盆地ならではの朝夕の寒暖差も美味しい栗を生む。
豊永さんが「栗のプリンセス」と称する品種「美玖里(みくり)」。上品な甘みで人気。収穫は10月上旬から。
完熟して落ちた栗だけを、長いトングで集めていく。最盛期には何人かにヘルプを依頼する。

“よか土地”が“よか栗”を生む

軽トラがやっと通れるくらいの山道を上がっていった先に、「やまえ栗」復活の立役者の一人、豊永高希さんの栗畑がある。斜面には丁寧に手をかけられた栗の木が立ち並ぶ。

「この畑で1ヘクタールほど。早生(わせ)、晩生(おくて)合わせて7種の栗を植えています」。9月頭、すでに早生種はイガが弾けて中からツヤツヤの栗が顔をのぞかせている。これから順に収穫していくところだ。

ここ、山江村の栗の歴史は古く、鎌倉時代初期から明治維新までの700年間、年貢の一つとして納められていたと文献に残る。その頃は自生が中心で、現在のような栽培による生産が始まったのは、1931年。熊本県から栗の原種が配布されたことがきっかけだという。以来、栗栽培に従事する人が次第に増えていく。

「山江村は、山田川と万江(まえ)川という2つの川があって、水に恵まれ、農業に適した土地なのですが、山林が90%を占めているため、平地が少ない。農家は米や果樹、野菜、畜産などを組み合わせて生計を立てる必要がありました。1960年代前後から、里山でも水田と同じ利益を上げようと栗を植え始めたんですね。父は役場の役員をしてましたから、率先して栗栽培を始めたようです」。

里山といっても結構な急勾配。果樹を植えるための造成は大変だったという。だが、その傾斜地ゆえに日当たりも水はけもよく、また、盆地ならではの朝夕の寒暖差が“よか栗”を生む助けとなっている。

「このあたりは火山灰土ではなく、栗の生長に好適の肥沃な赤土なんです。それも、やまえの栗を特別なものにしてくれたんですね」。

皇室献上の「やまえ栗」が消えた!?

1977年、風味も甘みも強い山江村の栗が昭和天皇に献上されるという栄誉に浴し、「やまえ栗」の名は九州一円のみならず、全国に轟(とどろ)いた。山江村の栗農家はその栄誉を励みとして、さらにクオリティを高める努力を続ける。

農家の中には、納得できない出来のものは「献上栗」の名にふさわしくないと、出荷しない者も。この品質へのこだわりは、今も変わらないそうだ。

そんな中、1992年、山江農協が球磨(くま)地域農協と合併されることになり、「やまえ栗」は球磨栗と一緒に出荷されることとなる。このため、「やまえ栗」の名称は使えなくなり、出荷をやめる農家が現れ、販売量は激減。村民の誇りも潰(つい)えそうになる。しかし、この状況にくさることなく、より美味しい栗を目指そうという栗農家も多かった。

2008年からは、「やまえ栗」の名を再び世の中に知らしめたいと、栗農家自ら、農協のみならず東京や横浜などへの直接販売ルートを開拓。品質を伝える取り組みを本格的に進めていくうちに、消えてしまった「やまえ栗」がブランド栗として再び息を吹き返したのである。

並行して、地元では渋皮煮や栗ジャム、栗きんとんなどの商品化が始まり、「やまえ栗」の新しい時代が幕を開けていった。



栗の王様と王女様

「うちの7種類の栗の中には、渋皮煮やお菓子に最適の『銀寄(ぎんよせ)』もあれば、電子レンジにかけるだけでポロっと渋皮が取れるから『ぽろたん』と命名された品種もあって、やまえ栗と言ってもタイプはいろいろ。その中で『利平(りへい)』は栗の王様、『美玖里』は女王様と言われるくらい優良な品種です。利平は葉っぱも実も大きい。甘みが強くて、ともかく旨い。歩留まりもいいんです」。

「利平」の名は料理人や菓子職人の間ではよく知られていて、中にはゴルフボールほど大きくなるものもある。収穫期は9月中旬から10月上旬まで。

「美玖里は1995年に生まれた新しい品種です。収穫した栗は、いがむき機でむくんですが、利平と同じく美玖里もあまりに大きくて、機械にかけられないほど。大粒で艶があって風味がいい。そして、甘いんです。一番べっぴんさんなんで、私は王女様と呼んでいます。小さい時から美味しい栗を食べつけてるうちの子どもたちも大絶賛します」。

こちらの収穫期は、栗のシーズンが終わりに差し掛かる10月10日前後だ。

雨の日も1日も休むことなく拾い続ける

豊永さんの畑では、8月のお盆過ぎから10月中旬ぐらいまでが収穫期。完熟して自然に落ちた栗を拾う。朝8時に出荷するため、選別は毎朝6時から。その後、朝食をすませ、「ちらっと朝ドラを見てから」栗拾いに山に向かう。雨が降っても1日も休むことなく拾い続ける。そうしないと「お日さまが当たると焼けて」商品価値がなくなるばかりか、すぐに虫がつくからだ。

拾った栗はいがむき機でむき、水を張った水槽に浸けて洗う。洗っているうちに浮いてくる栗には、未熟な栗が混ざっているので、すべて捨てる。虫や割れ、傷のついた栗も丁寧に取り除く。

2、3度洗って、選別作業を3~5回繰り返し、水分を丁寧に拭き上げると、ぷっくら、ぴかぴかの“べっぴんさん”たちが集まる。集荷場に持ち込むまでに、この作業を各農家で行う。「やまえ栗」のクオリティを確かなものにしているのは、豊永さんら生産者のこの丁寧な選別作業も大きい。

今年の夏は異常な暑さだった。夏の作業はまさに熱中症との戦いでもある。そして、収穫期は台風の季節とも重なる。

「♪大きな栗の木の下で、という歌のように、昔は栗の木を大きくしていたんだけど、台風が来たらひとたまりもない。だから、低樹高に仕立てて風で倒れないようにしてるんです。早生種と晩生種を植えているのは、作業効率もあるけれど、台風の強い風で実が全部落ちてしまわないようにするためのリスクヘッジでもあります」。

心配なのは台風だけではない。鹿に猪、猿も甘くて大きな栗を目がけてやってくる。「中には2匹がおぶさって、上の方の枝を折って食べる猿までいるんです」。

大きくて味が良いのは、樹齢10年超えの木

「栗の1年はあっという間。年中仕事があるから、自分の労働力を考えて計画を立てます」。
収穫が終わると、冬のうちに剪定をし、元肥(もとごえ)を施す。枝と枝が重ならないよう、できるだけ真ん中をあけて、まんべんなく日が当たるよう、また、風通しがいいよう、横に広がるように剪定する。剪定した枝は樹木粉砕機にかけて、堆肥にする。

足元には、イタリアンライグラスという飼料用の草が植えられている。冬場は腰の高さぐらいまで大きくなるが、夏場は枯れて敷草のようになり、土の乾燥を防いでくれる。春から秋まで4回ぐらい草を刈る。「虫がつきやすいので、木の根元はしょっちゅう払います」。
夏場には追肥をし、収穫後にはお礼肥も施すそうだ。

「昔から桃栗3年柿8年なんていうけど、植えた年から栗はなる。ただ、木が弱るから、あまり実らせないようにします。しっかりと実をつけるのは5〜6年経った頃からですかね。一番大きく味もよくなるのが10年経った頃なんです。だから、早く栗を植えようと周りにも伝えています」。

一度途絶えた「やまえ栗」の誇りと伝統を次代に繋ぐべく邁進する豊永さんのもとに、その熱血指導を仰ぎたいと、各地から来る研修生も多い。

「山江の栗は品種を問わず、本当に美味しいと思います。なにしろ、我々、農家の魂がこもってますから」。

絵に描いたような、十文字に弾けた栗のイガ。栗は収穫後、追熟しても美味しくなるそう。
「晩生はたれ枝」と豊永さん。たわわに実る晩生種「利平」の木。
やまえ栗100%の加工品を作る『やまえ堂』の自信作、栗の渋皮煮(200g)2592円。加工品の他、生栗も『やまえ堂』のオンラインショップで購入可能。
豊永さんの奥様手作りの栗の甘露煮。といっても砂糖はほとんど不使用。香りが高く、甘くホクホク。

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