「2週間前にも来たばっかりやねん。畑見学の後には、美味しいトンカツ屋さんに連れてってもらってね。彼ら、トンカツソースにワサビたっぷり入れるんや!」。新大阪を始発電車で出発し、新幹線、在来線、車と乗り継ぎ、4時間以上。『居酒屋 ながほり』店主・中村重男さんは、疲れをまるで感じさせることなく、静岡は伊豆の現地に到着した。
「休みの日に家でじっとしてるなんて耐えられない。止まったら死ぬねん」と笑う中村さんは、食材産地巡りを30数年続けている。店で扱う食材一つ一つに生産者との物語があるが、ワサビにも強い思い入れがあるという。
「ワサビに関しては誰にも負けたくない。良いものが欲しくて、発祥の地の静岡県の組合長に電話したんです。30年くらい前かな。その時、第一人者として御殿場(ごてんば)の田代耕一さんを紹介され、田代さんと交流してる中で、今度は田代さんから『頑張ってる生産者さんがいますよ』と、昨年『わさびのマルキチ』の井上さんを紹介してもらったんです」と、中村さん。
日本固有の香辛料・ワサビの歴史
ワサビは、山椒、ショウガ、辛子、セリなどと共に、奈良・平安の時代から日本人が香辛料として使用してきたものの一つ。コショウやシナモンなど早くから渡来した外来種の香辛料もあるが、それらは主に薬用とされ、普及したのは明治以降だ。
強い香りを持つ外来種の香辛料に比べ、在来の香辛料は、季節感や香りを添える薬味としての役割を担うことが多い。中でも、ワサビの鼻に抜けるツンとした辛みと爽やかな香りは、生魚との相性抜群。海に囲まれた日本では欠かせない存在として古くから利用されてきた。その辛みは硫黄化合物のアリルイソチオシアネート。大根、キャベツにも含まれるが、ワサビの辛みは特に強く、殺菌作用もある。
奈良時代から文献に記載があり、鎌倉時代からは食用とされていた記述も見られるワサビだが、当時は、きれいな湧き水のある山に自生しているものを採取して利用していた。栽培は1600年頃、静岡県で始まったとされている。自生しているワサビを水が湧く近くに植えて栽培し始め、江戸時代には徳川家康がことに気に入り、ワサビ栽培を奨励したとか。
「ウチのワサビ田も、あの辺りは江戸時代からのものですよ」と事も無げに言うのは、『わさびのマルキチ』の井上嶺太(りょうた)さん。全国屈指のワサビの産地・伊豆で八代続くワサビ農家だ。
山間の沢伝いに、棚田のようにワサビ田が階段状にずっと連なっている。
「これが畳石(たたみいし)式という伊豆では多い栽培方法やね」と中村さん。
「はい、天城山(あまぎさん)系の豊かな湧き水を利用したもので、世界農業遺産に認定された栽培方法ですよ」と井上さん。
明治期に開発されたこの栽培法は、表面だけでなく田の内部にも水を通すので、不純物を濾過しながら水温を安定させ、栄養分や酸素をワサビの根に供給できるという。
「ウチは湧き水100%で作っています。水温は14℃前後で安定しているので、ワサビには良い環境です」。
それにしても広い。中村さんは、井上さんについて馴れた足取りでひょいひょいと上がっていくが、筆者には、ぬかるんだ沢伝いの小道を上がるだけで一苦労だ。
「ワサビ田は、ひと家族で7反歩(1反は約300坪、990㎡)が限界と言われるんですが、うちは9反歩。さすがにキツイですけどね」と井上さん。ワサビ栽培は植え付けから収穫までほぼ全ての作業が手作業で行われる過酷な農業だ。
そんな中でも「ワサビ栽培が大好きです」と笑顔で話す井上さん。それは、「常に新しい良いワサビを目指して、試行錯誤していることが楽しいから」だという。
伝統的な栽培方法に、品種改良を施して
一言にワサビと言ってもいろいろな品種がある。種苗会社のホームページを見ただけでも、「赤鬼」「真妻(まづま)No.1」「天城にしき」などの品種名が並んでいる。それだけでなく「農家が栽培する中で生まれた品種もあるんですよ。全部で何種類か? うーん、何百種ではきかないかもしれないですね」。
品種によって、辛み、甘み、香り、粘りがそれぞれ異なるのだそう。
井上さんのワサビ田では常時約10種、栽培している。
「その中から良いものを残して、毎年2~4 種は自分たちで選抜した新しい品種を試してみるんです」。
「素人は、今までで一番良いものを作り続ければいいのではと思ってしまうけど、そうはいかんねんね」と中村さん。「はい。何年か経つと退化していくんです。ウチでも、真妻を植えていましたが、50年も続けていると退化してしまいます。それで、父の代からウチの土地に合う品種改良を始めたんです」と井上さん。
ワサビは雑種性が強く、100粒の種を植えれば100種違うものになる。
「掛け合わせたい品種を受粉させて、人為的に良い品種を生み出すんです」。自然の力と人の知恵との融合だ。
「理想は、辛くて甘くて粘りがあって色が良くて香りもいいワサビ。5つの要素が総合的に整っているものを作りたい」。取材の中で見せていただいた「池-4号」という品種もそんな理想に沿って選抜した品種の一つだという。「池? 何その名前?」と中村さんが大阪人らしくツッこむ。
「この辺の地名が“池”っていうんですよ。そこで4番目に選抜した品種。次に良い品種が生まれたら、いい名前を付けます」と井上さんは笑う。
その「池-4号」を山の上ですりおろしてみた。途端に爽やかな香りが漂う。指にとってなめてみる。
「お! 辛いね」と中村さん。声が出るほど辛く、後から甘みがふわりと広がる。『わさびのマルキチ』から、新たなカッコイイ名前の品種が発表されるのも間近かもしれない。
ワサビの茎・葉を使った料理
後日、中村さんから連絡が入った。
「『池-4号』の葉と茎をいっぱい送ってもらったから、食べにおいで」。
まず出されたのは、「池-4号」の茎と葉を茹でたもの。味付けは、ほんの少しの塩だけだ。
シャキシャキと軽やかな食感。アクや苦みはない。辛い。けれど、辛みのキレが良く、後味はスッキリとしている。
「茹でる温度で、苦みが出ないようにできるんです」と中村さん。「お茶も苦みを出さない淹れ方があるでしょ」。ぬるい湯でゆっくり抽出したお茶は甘いのと同じで、沸騰させずに茹でるという。
「密閉容器に入れておけば、冷蔵庫でひと月はもつよ。少し色は変わるけど」。この茹でた葉と茎をサラダ仕立てにした一品が振る舞われた。
その名は「椚座(くぬぎざ)牛の炙り肉と葉ワサビのサラダ」。
椚座牛は淡路島の『大造(だいぞう)畜産』の育てた牛。素牛(もとうし)の仕入れから、淡路島産の米や稲藁など地産地消のエサで、黒毛和牛の未経産牛のみを丁寧に育てているという。
「とにかく美味しいんですよ!」と中村さんが激オシの牛肉だ。今回はそのランプ肉をニンニク、醤油、みりん、酒で作ったタレで付け焼きに。中はレアなローストビーフ風の仕上がりだ。野菜は、キクイモ、根パセリなどちょっとクセのあるものと、ズッキーニ、ブロッコリー、カリフラワー、カラーニンジン。それに茹でたワサビの茎と葉だ。ドレッシングは、塩コショウと柑橘の酢。今回は青ミカン。それにオリーブ油だけ。
「魚介にしようかと思ったけど。『池-4号』がめっちゃ辛みがあるのでお肉にしました」。
赤身とは思えないほどの旨みの強さと、ワサビのキリリとした辛みが実によくマッチして、互いにがっぷり四つに組んで力強い。サラダとはいえ、存在感がスゴイ。
ワサビの葉と茎から、一つのご馳走ができあがった。
『居酒屋 ながほり』
【住所】大阪市中央区上町1-3-9
【電話番号】06-6768-0515
【営業時間】16:00〜22:00(土曜13:00〜22:00)
【定休日】日曜、祝日
【お料理】定番つくね焼き1080円、うまい野菜 山椒あんかけ1580円、活毛ガニのジュレ添え 時価。
フォローして最新情報をチェック!
会員限定記事が
読み放題
月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です
この連載の他の記事産地ルポ これからの和食材
月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です