“春の山の梨”と称される、美しい野菜
小屋の中は、光の届かぬ闇の世界。目が慣れてくると、奥にこんもりと盛り上がった藁(わら)の山が見分けられた。その中ほどから「こんにちは」と、アザラシが水面に顔を出すように、ひょっこりと現れ、迎えてくれたのは、ヘッドライトを装着した中井大介さん。「どうぞ見に来てください」と言われ、恐る恐る藁山の上に渡した板を踏んで、作業する手元を覗きに行くと——。
藁山の下、三島独活の白い姿が林立している。白樺林(しらかばばやし)が月明かりにほの浮かぶような、神秘的な光景に息を呑む。
茨木市千提寺。大阪と京都の中間に位置するベッドタウンであるが、車で北へ30分も走ると、すっかり山だ。安土桃山時代、この山間部一帯はキリシタン大名・高山右近(たかやまうこん)が治めた高槻藩の領地であった。ために、山間に“隠れキリシタンの里”があったという。千提寺もその一つだ。
三島独活は、なにわの伝統野菜の一つ。山独活とは違って、紫外線を遮断して真っ白く育てる軟白独活だ。アクがなく瑞々しく甘く、独特の芳香がクセになる“春の山の梨”と称される。元々は山菜だった独活を茨木市の三島地区で、江戸は天保年間から連綿と栽培してきた。
「昔は村の半分が独活を作っていたんですが」、春夏秋冬手間の掛かる栽培は兼業ができず、サラリーマンの方が安定するしと、1人減り2人減り。とうとう最後の1軒も「歳だから辞めようと思う」と。それを聞いた若夫婦が「じゃあ、私たちがやるしかないよねぇ」と就農を決意。大介さんは会社を辞め、2014年夏に、独活農家・後藤一雄さんに弟子入り。奥さんの優紀さんは、同じ茨木でもニュータウンの生まれ。それが何故——。
「夫の実家のある千提寺に移住してきて、生き方が変わりました。食べるものは自分で作る、エネルギーも作り出す村の人々の生活を見て、何もできない自分の無能さにビックリ(笑)。そして消費より創造する生活を、地域の資源を活かして自然と共存する生き方をしたいと思ったんです」。
伝統野菜を次代に残すために
江戸時代から続く伝統農法は、まさに自然と人の知恵との融合だ。前年の4月から、露地で大きく育てた独活を株ごと堀りだして小屋へ移し埋めて、その上に干し草と藁を7層積み重ねる。水を掛けて覆い、発酵熱で真冬の2月に春だと勘違いさせて生長させる。陽光を遮った小屋の中で、藁と干し草の山を真っ白の独活たちが、力を合わせて、うんしょと持ち上げて伸びていく。「寒さにさらすと休眠状態が打破されて芽を出す準備をし、春にしっかり芽吹きます。ある年は温度が高すぎたし、その翌年は低すぎて芽が出ないとやきもき。そもそも稲木掛けで干した稲藁を確保するために田んぼもしなくちゃいけないし、独活小屋を建て、干し草と藁を積むのも独活作りの一環だし」。
ハイリスク・ローリターン。それでも——。消費者が「安けりゃいい」としか思わないなら、大量生産した画一的な農産物しかできないだろう。伝統野菜の多様な姿、味わいを残したい。しかし、事業化できなければ結局絶える。
優紀さんは広報と販売を一手に引き受ける。地域支援を得るため積極的に活動し、赤ん坊を背負って料亭に飛び込み営業もした。その結果、いま錚々(そうそう)たる料亭や割烹が、三島独活を大事に使ってくれている。一方で、“株主”制度を作って消費者とも繋がり、栽培ノウハウの「見える化」も進めている。次代に繋げるために…。「独活作りが、たくさんの人との繋がりの大切さを教えてくれました。“独”りじゃ“活”きられへんって」と優紀さんが笑う。
収穫したばかりの真っ白な独活を囓った。確かに梨のように甘く、春の香りが駆け抜けた。
【電話番号】090-6900-6968
【HP】https://sendaijifarm.theshop.jp/
【メールアドレス】sendaijifarm.380@gmail.com
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