世界No.1フーディー浜田岳文×和食を“変える”料理人

愛知『橦木町 しみず』清水陽介編。Vol.2 大阪『本湖月』で学んだこと

愛知県名古屋市にある日本料理店『橦木町(しゅもくちょう) しみず』の店主・清水陽介さんは、調理師専門学校を卒業後、11年間、大阪の名店『本湖月』で修業を積みました。今回は、師匠である穴見秀生さんから学んだことについてお話しいただきます。

文:阪口 香 / 撮影:岡森大輔

目次

浜田岳文さん(「株式会社アクセス・オール・エリア」代表)

1974年、兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。南極から北朝鮮まで、世界約128カ国を踏破。一年の5カ月を海外、3カ月を東京、4カ月を地方で食べ歩く。「OAD Top Restaurants」(世界規模のレストラン投票システム)のレビュアーランキングで2018年度から7年連続で1位を獲得、国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信している。2024年、自身初となる著書「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」(ダイヤモンド社)を出版。

清水陽介さん(『橦木町 しみず』店主)

1984年、岐阜県・郡上八幡生まれ。小学生の頃に「祖母においしい料理を食べさせてあげたい」という気持ちが芽生え、料理人を志す。高校卒業後、「辻󠄀調理師専門学校」で日本料理を学び、大阪・法善寺横丁にある日本料理『本湖月』で11年、岐阜市の『たか田八祥』で6年間修業を積む。2022年1月、名古屋で独立。懐石料理の基本を大切にしつつ、自分にしか作れない料理をコースに組み込む。岐阜や愛知の食材を中心に用いている。

幼少期からの夢を叶え、『本湖月』へ

浜田:
そもそも、料理人を志したきっかけは何だったんですか?
清水:
両親が共働きだったので、だいたい夕食は祖母が作ってくれてて。その祖母に「美味しい料理を作って食べさせてあげたい」という気持ちが芽生えたのが始まりです。さらに、小学生の頃に放映されていたドラマ「味いちもんめ」を観て「料理人ってかっこいい!」と魅了され、完全に心が決まりました。小学校の卒業アルバムにも「京都へ料理修業に行く」って書いていたくらいです。

高校生になると「イタリア料理がいいな」って思ってたんですけど、作ってもなんかセンスなくて(笑)。「日本人なんやから、日本料理の方がかっこええやろ」って半ば自分に言い聞かせるかたちで「辻󠄀調理師専門学校」では日本料理を専攻しました。
浜田:
卒業してすぐ『本湖月』に入られるわけですが、そのいきさつは?
清水:
「辻󠄀調」のプログラムで会社訪問があったので申し込みました。「大阪で一番の日本料理店」って聞いていたので、興味があって。行ったらトントンと話が進んで、そのまま修業させていただけることに。ちょうど人を募集していたタイミングだったらしく、僕が決まった後に電話した学生は断られていましたね。
浜田:
運が味方しましたね。
清水:
本当、人生が変わった瞬間です。

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